価値観 [市場]
最近ネットオークションを眺めたり、出品したりするようになりました。
これは以前にも書きました。
売りたいものを出す側と、買いたいものを探し値段を付ける側。
その仲介を務めるサイトと出金と入金を司る銀行と品物を運ぶ業者。
少なくとも4者がやり取りをし、各々役目を務めます。
そうすることで、お互いにビジネスがなりたつわけです。
私は売る側を務めるわけですが、当然売れると”うれしい”わけです。
でも、買い手側に品物を送ったりする労を費やします。
そうすることで買い手側の印象を良くしなければなりません。
なぜなら、買い手側から評価をつけられるからです。
以後、この評価を第三者が見て私を評価の一因として使用します。
だから、複数回このサイトを使うのであればそれなりの評価をえないといけない。
しかも、市場がなにを求め、どのような価格でやりとりされているのか調べなければなりません。
なぜなら、1円でも利益を得たいからです。
これは自然な行動です。
でも、それまで私はサラリーマンで内勤で管理職・・・そんな活動をしてこなかっただけに、
この一連の作業が楽しくて仕方がない^^;
そして1円の利益を得るためにどうしたらよいのか?真剣に考えるようになりました。
そしてこれまで当たり前のように消費してきたものにも厳しく見るようになりました。
この500ミリリットル入りのお茶(品物)はほしいけど・・・この価格は妥当なのか?
あと100メートル歩いたら20円安い品物が売っているが我慢できないのか?・・・こんな感じである。
まるで主婦的な発想であるが、これってあたりまえなのだが、世の中の人たちは、
特に都会の人たちって結構そこら辺がいい加減なようにおもうのだ。
なぜなら私がそうだからである。
物の価値とは結構いい加減で、ほしい!と思ったら価格を見ないで買ってしまう人もいるし、
それはいらないな!とおもったらどんなに安くても買わない。
オークションを眺めてみるとそんな動きが見えてきます。
物を売り・発送し・お金を得る。
だれでもこの一連の動きを体験できる。
この意味は大きいと今更ながら思うのである。
己の価値観を市場にぶつけることも可能だ。
ただその価値を認めてくれるかは買い手に委ねることになる。
認められる事は価値に繋がるのである。
こんなあたりまえのことが、私の価値観を変えようとしている。
これは以前にも書きました。
売りたいものを出す側と、買いたいものを探し値段を付ける側。
その仲介を務めるサイトと出金と入金を司る銀行と品物を運ぶ業者。
少なくとも4者がやり取りをし、各々役目を務めます。
そうすることで、お互いにビジネスがなりたつわけです。
私は売る側を務めるわけですが、当然売れると”うれしい”わけです。
でも、買い手側に品物を送ったりする労を費やします。
そうすることで買い手側の印象を良くしなければなりません。
なぜなら、買い手側から評価をつけられるからです。
以後、この評価を第三者が見て私を評価の一因として使用します。
だから、複数回このサイトを使うのであればそれなりの評価をえないといけない。
しかも、市場がなにを求め、どのような価格でやりとりされているのか調べなければなりません。
なぜなら、1円でも利益を得たいからです。
これは自然な行動です。
でも、それまで私はサラリーマンで内勤で管理職・・・そんな活動をしてこなかっただけに、
この一連の作業が楽しくて仕方がない^^;
そして1円の利益を得るためにどうしたらよいのか?真剣に考えるようになりました。
そしてこれまで当たり前のように消費してきたものにも厳しく見るようになりました。
この500ミリリットル入りのお茶(品物)はほしいけど・・・この価格は妥当なのか?
あと100メートル歩いたら20円安い品物が売っているが我慢できないのか?・・・こんな感じである。
まるで主婦的な発想であるが、これってあたりまえなのだが、世の中の人たちは、
特に都会の人たちって結構そこら辺がいい加減なようにおもうのだ。
なぜなら私がそうだからである。
物の価値とは結構いい加減で、ほしい!と思ったら価格を見ないで買ってしまう人もいるし、
それはいらないな!とおもったらどんなに安くても買わない。
オークションを眺めてみるとそんな動きが見えてきます。
物を売り・発送し・お金を得る。
だれでもこの一連の動きを体験できる。
この意味は大きいと今更ながら思うのである。
己の価値観を市場にぶつけることも可能だ。
ただその価値を認めてくれるかは買い手に委ねることになる。
認められる事は価値に繋がるのである。
こんなあたりまえのことが、私の価値観を変えようとしている。
タグ:オークション
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